人は愚かで、邪悪な生き物
人は愚かで、邪悪
人は
愚かで
邪悪
これは
どんな人も
持ち合わせている部分
程度の差はあれど
どんなにいい人だったとしても
人間であるならば
必ず備わっている
もちろん
自分にも
ある
こういう部分が
人には必ず「ある」
ということを前提に
物事をとらえていく必要がある
この
愚かで邪悪な部分に
正直に生きていく
という方法もある
この世で
悪いとされていることにも
抗うことなく
悪いことをして生きていく
という方法
でもそれは
いつか
現実が崩壊し
破たんしてしまう
この
愚かで邪悪な部分に
蓋をして
見ないことにし
我慢して生きていく
という方法もある
この世で
善いとされていることと
自分の感じていることが違っても
我慢して
人に善い人だと思われるように
生きていくという方法
でも
蓋をする
見ないことにする
というのは
「無い」
というのとは違う
だからやっぱり
いつか
蓋が開いて
積もり積もった感情が
爆発してしまう
どちらの生き方をするのも
その人の自由だけれど
どちらも
どこかの時点で
限界がくる
それならば
愚かで邪悪な部分と
仲良くなり
手なずけ
上手にコントロールしながら
共に生きていく
支配されるでもなく
排除するのでもない
認め
受け入れ
上手に付き合いながら
共に生きていく
無くそうと思っても
絶対に無くならない部分なら
「ある」ということを前提に
それをどうしていくか
というふうに
生きていけば
いつしか
そこから
解放される日がくる
思い通りにならないということ
思い通りにならないということ
人生には
思い通りにならないことが
たくさんある
そのたびに
裏切られたと怒りが込み上げたり
落胆して悲しんだり
それはとても辛く
苦しい時間
でも
ふと思う
裏切られる
落胆する
思い通りにいかない
というのは
期待したり
信用したり
未来を思い描いたり
という前提があって
はじめて成り立つもの
それならば
期待したり
信用したり
未来を思い描いたりしなければ
裏切られることも
落胆することも
思い通りにならないと
心をすり減らすことも
無い
ということになる
期待をしたり
信用したり
未来を思い描いたりすることが
悪いということではない
期待をしたりされたりすることで
予想以上の力が発揮できるかもしれない
信用することで
関係を深めることができるかもしれない
未来を思い描くことで
それを現実に引き寄せることが
できるかもしれない
その感情や思考を
どう使うかで
結果もまた変わってくるものだと思う
けれど
もし
思い通りにならないことや
辛く苦しい感情に
振り回されて
心が折れそうならば
そもそもの前提を
変える
つまりは
期待し過ぎたり
信用し過ぎたり
未来を思い描くことを
やめてみる
ということを
してみてもいい
「思い」が無いのだから
「思い通りにならない」ということは
起こり得ない
「思い通りにならない」
という現象は
結局のところ
自分自身が作り出しているということに
他ならない
どれだけ多くのことに気が付けるか
人生は、どれだけ多くのことに気が付けるかという旅
というのがある
これは
人間が起こす災害
たとえば
交通事故や医療ミス
そういう
大きな災害が
1件起きた時
その前には
29件の軽微な事故があり
さらにその前には
事故寸前の案件が
300件ある
というもの
この法則は
労働災害についてのものだけれど
自分の日常におこる
ささいな出来事にも
この法則が当てはまるのではないか
と思う
ほんとうは
大きな何かが起こる前に
小さなサインが
たくさんあるのかもしれない
それを
どれだけ察知できるか
小さなサインを見逃して
見逃して見逃して見逃していると
やがて大きな何かに発展してしまう
気が付くまで
小さな事故が
起こり続けてしまう
大きな出来事は
今
急に起きることはなくて
気付かないうちに
積み重ねられた
たくさんの原因によって
起きている
人生は
どれだけ多くのことに
気付けるか
という旅
大きな出来事が起こる前に
察知し回避できれば
人生を平穏に過ごせるだろう
それはとても
素晴らしい
しかし
大きな何かが起こらないと
気が付けない
というのが人間というもの
その時に気が付くことができたなら
その人にはそれが
必要だったということ
嫌な事や良くないことが
起きる時は
その先にある大きなことへの
サインかもしれない
そのサインに気が付けば
同じことは起こらなくなる
人生は脱出ゲーム
人生は脱出ゲーム
人は
生まれた時からすでに
なんらかの偏りを持っている
そして
成長の過程で
親や環境によって
さらに多くの偏った価値観を
植えつけられる
これは
ごくごく自然で
そして
必要なこと
親や環境は
あえてその偏りを植え付けるために
存在している
どんなに素晴らしい親だったとしても
偏りがないということはない
その価値観を子供にいったん植えつける
というのが
親の役目
そして
その価値観から脱出し
反対の価値観を体験し
そのうえで
真ん中に居られるようになる
というのが
人生の目的
偏っていてはいけない
ということではなく
両方に揺れながら
少しづつ
真ん中に寄っていければ
それでいい
その振れ幅が
大きい人もいれば
小さい人もいる
そこにたどり着かなくてもいい
偏ったままでもいい
どちらかに振り切っている
という人が存在する
ということも
また必要なこと
どんなところにいても
それでいい
でも
人生に起きるいろいろなことは
結局
真ん中に寄るために
起きている
人生は
植えつけられた
様々な偏った価値観から
脱出するゲーム
人生がうまくいかないとき
人生がうまくいかないとき
たとえるなら
この世は病院で
わたしたちは病人
この世界に
入院しているようなもの
自分に起こる出来事や
見聞きするものは
治療薬
その事柄から
何を感じ
その感情をどう癒すか
それだけのために
様々なことが
起きている
起きていることから
心を背けていると
いつまでも同じことが
起こり続ける
人生がうまくいかない
思い通りに進んでいかない
なぜ自分だけが
こんなにつらいのか
なぜ同じことが
何度も起きるのか
それは
せっかく差し出されている薬を
ずっと受け取らないから
起きることに
「意味」はない
ただそれを
自分がどう感じているか
それを
「感じきる」こと
そして
自分が癒すべき部分はどこなのか
それに
「気づく」こと
それが
人生を好転させていく方法
誰もが患者であり
また
誰もが誰かにとっての
医者であり薬
そうやって
お互いに
自分の抱えているものを
癒しあっている
自分に起こる事柄から
自分の中にある問題に気付き
そこから生まれる感情を受けとめる
人生は
それの繰り返し
自分の中にある「膿」を
少しでも出す
そのための
人生