A Biased Life

つらい人生を生きぬくためのヒント

幸せになる唯一の方法

 

幸せになる唯一の方法

 

幸せとは

 

お金持ちになる

一流の会社に入る

家族を持つ

やりたいことができる

自由になる

愛する人と一緒にいる

食べるものがある

住むところがある

友達がいる

 

どれも幸せだといえる

 

でもそれは

相手や環境が変われば

簡単に無くなるもの

 

何かを手に入れることが

幸せだとすると

それが無くなってしまったら

不幸ということになる

 

手に入れても

今度はそれを無くすことへの不安で

いっぱいになる

 

求めるものが手に入る

というのは

一時的に幸せだけれど

永遠ではない

 

それを無くす可能性は十分にある

 

それは

人やモノや環境に依存している

 

本当の幸せでは無い

 

では

幸せとは何か?

 

幸せとは

誰かに

「愛されている」

ということ

 

誰に?

 

自分の愛する人だろうか

家族だろうか

友達だろうか

それとも「多くの人に」だろうか

 

それもまた

相手の気持ちが変われば

簡単に無くなるもの

 

自分の努力で

どうにかなるものでもない

 

やはり

相手に依存している

 

一時的に感じることはできても

永遠ではない

 

失うことへの不安もつきまとう

 

ならば

誰に愛されれば

本当に幸せになれるのか

 

それは

 

「自分自身」

 

「自分」が「自分」に愛されるということ

 

人やモノや環境に左右されない

どんな状況にいても変わらない愛がそこにある

 

愛されているかどうか不安になることもない

嘘偽りのない愛がそこにある

 

それが

本当に幸せになる

唯一の方法

 

 

 

「安定」とは不安定であること

 

「安定」とは不安定であること 

 

安定した人生を送りたい

 

そう願う人は多いだろう

 

安定した収入

安定した精神

安定した毎日

 

それを手に入れることができたなら

きっと幸せになれるだろうと

 

だから

それを手に入れるために

頑張っている

 

では

どうしたらそれが

手に入るのだろうか

 

絶対に倒産しない会社に

入ることだろうか

 

何にも心を動かされない人に

なることだろうか

 

変わることのない毎日を

送ることだろうか

 

ほんとうに?

 

このご時世

絶対に倒産しない会社などないし

あったとしても

自分がリストラされないという

保障はない

 

心を動かさないということは

なにも感じないということ

はたしてそれは幸せなのだろうか

 

自分の体調も天気も

世の中も相手の機嫌も

昨日とまったく変わらない

ということは

あり得ない

 

昨日と同じ今日は

存在しない

変わらない毎日などない

 

だから

 

安定

というのは

そういうことじゃない

 

変わりゆく日々の

不安定な揺れに

上手にバランスをとりながら

自分も揺れ動くことが

「安定」した状態なのだ

 

世界は瞬間瞬間

変わっている

同じ瞬間は

存在しない

 

自分が棒のように堅く

形を変えられないものならば

揺れとともに

すぐに倒れてしまう

 

それは

安定ではない

 

揺れ動くことができる状態こそ

安定している

といえるのだ

 

安定しているように

見える人は

絶妙なバランスで揺れ動き

まっすぐを保つことができている

ということ

 

まったく変わらず

動かず

揺れない

ということではない

 

もし

変わらない毎日に

飽き飽きしているとしても

 

それは

揺れ動き

変わる日々と

ちゃんとバランスを取ることが

できているということ

 

もし

安定した毎日を送れないと

嘆いているとしたら

不安定でもいいと

自分が揺れ動くことを

許してあげればいいのだ

 

嵐のような毎日を送り

破天荒な人生だっていい

 

日々揺れ動き

不安定な毎日だと

感じていてもいい

 

だって

 

不安定に揺れ動く状態と

絶妙にバランスをとる

不安定な状態こそが

「安定」なのだから

 

 

 

悪を生み出す正義のヒーロー

 

悪を生み出す正義のヒーロー

 

この世は

常にバランスがとれている

 

「正しいこと」

があれば

「正しくないこと」

が存在する

 

正義が存在すると

悪も存在する

 

ということは

正義が存在しなければ

悪も存在しない

 

悪を存在させたくなければ

正義を存在させないこと

なのだ

 

それは

正義と悪

という概念から

解放される

ということ

 

悪いことをしてもいい

というのとは

ぜんぜん別のこと

 

正しくなくてもいい

というのとも

違う

 

正しいか正しくないか

という次元にいない

ということ

 

その定規が

存在しない次元にいる

ということ

 

正義のヒーローになりたい

という人こそが

実は悪を生み出していると知ったなら

 

どうするだろうか

 

 

 

なぜ嫌われてしまうのか

 

なぜ嫌われてしまうのか

 

なぜか仲間外れになってしまう

なぜかいつも嫌われてしまう

 

そういう経験があるだろうか

 

なぜなんだろうと

考えても

なかなか答えがみつからないかもしれない

 

以前

塾講師をしている人から

こういう話を聞いたことがある

 

塾で

誰からも声をかけられず

独りになってしまう子が

いる

 

最初は違ったけれど

いつのまにか

そうなってしまう

 

どうしてかと見ていると

 

同じ状況なのに

それを言い訳に使うことが

多いのだという

 

どういうことかというと

 

他の子も

部活で忙しいのは同じなのに

部活が忙しかったから

宿題が出来なかった

とか

 

他にも

そういう子はいるのに

こういう理由で

持ってこられなかった

とか

 

同じ状況でも

他の子はやってきたり

持ってきたり

しているのに

 

その子はそれを

言い訳に使ってしまうのだそう

 

他の子はそれを

「ずるい」

と感じる

 

自分だって大変な中

一生懸命やってきたのに

あの子はなんで

やってこないのかと

 

そして

なんとなく声をかけなくなるのだという

 

人は

他人の「ずるさ」に

ものすごく敏感

 

あの子は「ずるい子」

 

そういうふうに感じてしまう

 

そうすると

なんとなくその子に

声をかけたくなくなる

 

みんなで無視しようとか

いじめようとか

そんなことではない

 

この話は塾の話なので

みんなと仲良くしなきゃいけない場でもないし

独りで黙々と勉強していてもいいし

先生もそこまで立ち入らないし

 

いじめ

とかに発展するようなレベルでもない

 

本当に

なんとなく

声をかけない

というふうになる

 

その子は

誰かに何か

悪い事や嫌なことを

したわけじゃない

 

だから

本人もなぜ独りになってしまうのか

なぜ声をかけてもらえないのか

理解ができないと思う

 

他の子も

なんでその子に声をかけたくない

という気持ちになるのか

解っているわけじゃない

 

本当に

なんとなく

なのだ

 

仲間外れになったり

人に嫌われたりすることの原因は

きっといろいろあるから

これはほんの一例だし

 

そして

仲間外れになったり

人に嫌われたりしたって

別にいいんだけれど

 

もし

思い悩んでいる人がいるのなら

 

実は他人との関わり方じゃなくて

自分が自分に甘いということが

原因かもしれないと

自分の行いを振り返ってみてもいい

 

「自分だけ」

嫌なことから逃れようとしていないか

やりたくないことに言い訳していないか

 

 「自分が自分に甘い」

ということを

思った以上に他人は感じていて

 

それも

しっかり理解できている感情じゃなくて

フワフワと漂うガスのように

見えないけれど「ある」

というような

それくらいの微量なもの

 

仲間外れにならないように

嫌われないように

どうやって他人と接すればいいんだろう

 

っていうことじゃなくて

 

自分に甘くないか

ずるくないか

 

っていうことを

自分に問いかけて

行動するほうが

 

きっと

よい結果を生む

 

 

 

お金がないとき

 

お金は性根をあぶりだすツール

 

お金がない

 

多くの人が

抱える問題だろうと思う

 

ただの物々交換のアイテムのはず

 

なのに

そこにはそれ以上の

巨大なエネルギーが

ある

 

人の

いろんな心を

吸収した

ものすごい

エネルギー

 

そこに

良し悪しはなく

ただのエネルギー

 

でも

それにまつわる感情で

良くも悪くもなり

それをどうとらえるかで

また結果が違ってくる

 

お金がないとき

 

欲しいと頭で願っていても

本当は

お金の存在を否定してはいないか

受け取ることに罪悪感を感じていないか

 

お金は

敏感にその感情を読み取ってしまう

 

お金を通して

自分の心が表現されているのだ

 

お金によって

自分の性根があぶりだされている

 

自分でも気が付いていない自分が

そこにはある

 

だとしたら

よくよく観察して

自分の性根を

ちゃんと受け止めて

 

それを浄化して

超えてゆければ

 

自然に解決していく

 

お金がないとき

やらなければいけないことは

 

まず

自分の心を

しっかり見つめて

整えること

 

 

迷惑をかけないで生きる

 

迷惑をかけないで生きる

 

人に迷惑をかけないで生きるのは

不可能に近い

 

なぜなら

人は完璧ではないから

 

迷惑をかけたくないと思っても

かけないように

細心の注意を払っても

かかってしまうものだから

 

というのがひとつ

 

もうひとつは

 

自分が迷惑だと思っていることと

相手が迷惑だと感じることが

同じではないから

 

自分が良かれと思ってやったこと

正しいと思って行動したことが

相手にとっては迷惑かもしれない

 

だから

自分は迷惑をかけていない

と思うのは

思い上がり

 

かける迷惑を最小限にしたい

と思って行動するのは

とても素晴らしい

 

でも

それでもかかってしまうもの

そして

かけられてしまうもの

 

迷惑をかけない

と頑張ることも

 

迷惑をかけられたと

腹を立てすぎることも

 

どちらもしんどい

 

迷惑をかけたり

かけられたりしながら

お互いに補い合っていけばいい

 

迷惑をかけずに生きることは

不可能なのだから

 

 

 

自分を窮屈にするもの

 

自分を窮屈にするもの

 

ずいぶん前に

ある有名なタレントさんが

こう言っていた

 

「小さいマナーを守らないと

やがて大きいルールに

なってしまうんだよ」

 

大きいルール

規則や法律

そして罰則

 

そういうものが

どうしてできるかというと

 

「マナー」というレベルの

小さい小さいことを

守らないから

 

小さいことを

守っていれば

大きなルールにならずにすむ

罰則なんていらない

 

でも

守らない

守れない

 

だから

どんどん大きなルールになって

法律になって

罰則ができる

 

もっと自由だったはずなのに

どんどん窮屈になる

 

窮屈にしているのは

小さいことを守れない

自分自身

 

自分で自分を

窮屈にしている